人生はなかなかうまく行かない。 習い事について(ピアノ)

 幼稚園児だった私は、特に自我も無く、フラフラ遊べそうな所と人にくっついて遊んでいたように思う。自分で仕切った記憶は無い。そして、扁桃腺が腫れてよく、幼稚園を休んだ。

喉の痛みと、そこからくる38℃以上の熱。悪寒。行事関係なく風邪を引くので周りの人をよく困惑させていた。その幼稚園は家のフェンスを堺に真裏にあった。今もリニューアルして現存する。

 

7歳くらい

水泳と同様、ピアノの習い事を始めさせられ、先生の生活する空間兼、マンションの一部屋を教室にして週一回で月5000円でやっていた。そして、自分にだけ毎回お菓子をくれた。そこそこいいお菓子。

お菓子目当てに通うこととなる。

 

自我が無いまま、なんだかんだで自分がピアノやります。と言ったので(思ってない)お菓子目当てとそのピアノレッスンが終わったら急いで、スイミングスクールに行かなければならなかった。

スイミングスクールに更衣室があり、ロッカーは小さい。

水泳前に行ったピアノの楽譜は必ず濡れていた。

荷物を無理やり押し込んで着替え、女のコーチを見つけることに全力を尽くし瞬間の安堵を得ようとしていた。

 

10歳くらい

小学校5年くらいに運動会の練習中にボキッ、ミシッと右親指が鳴った。

飛び跳ねる程痛かった。練習中なので体育着のままジタバタ走り回っていた。

そうでもしないと痛みを受け止められない。保健の先生に言ったらしばらくして母親がきた。母親と近くの外科に行き、レントゲン。

3箇所くらいヒビ入っていた。折れたほうが治りは早いらしい。実際3ヶ月くらいずっと包帯を巻き、左手てご飯を食べていた。期間限定左利きを身に着けた。

そして、これでしばらくピアノに行かなくて良いのだ。と思ったらニヤっとした。母親が引いていた。

やれと言われたからやるでお馴染みの自分はこういった気持ちのまま小学校が終わろうとしていた。

 

13歳位

中学生になってもピアノは続いていた。その3年くらい前にやっと自分家にピアノがやってきた。それまでは隣の従兄弟の家に電子ピアノがあったので、そこを30分ぐらい借りて練習させてもらっていた。しかし、バイエルを卒業するくらいには電子ピアノではあまりうまくならないことも痛感していたし、そもそもあまり好きではない。いや、音符を読めるのは素晴らしいじゃないか!月謝が月5000→中学生6000にアップしたとて音符読めるから良いじゃんは投資しすぎてはないかい?と言ってしまうほどだ。

中学から部活も入り、地元の剣道の会(剣友会)にも入っていたので練習する暇は見つけないと無かった。そして自分から練習するつもりは一切なかった。つまらなかった。

 

やると言った以上は中途半端に止められない契約を親と交わしてしまっていたからだ。

ピアノの先生の家で注意されたことを、翌週のピアノの先生が、先週より上達して無いと怒られたりしていた。そしてその繰り返し。お菓子も以前と変わらず貰っていた。

 

14,5歳くらい

ピアノの教室で同じクラスの友達は中学受験という理由で既にピアノからフェードアウトしていった。男は1人になっていた。

 

そして、そんなストレスを先生も抱えていた矢先、ピアノの発表会に出る出ないで揉めた。出なさい!出ません。出なさい!出ません。というやり取りが行われ、出ないことを勝ち取った。この時に先生も諦めたみたいだ。

既に練習する習慣も消え、週一ピアノのレッスンも前の週と同じことを繰り返すだけで酷い時は下手になってるくらいだった。

 

程なくして、親からピアノ辞めたよ。と言われた。なんか先生から親にやる気が見られないとのことだったらしい。いやもっとあるだろう!大人だ!

とても開放された良い気持ちになった。そして、この時間を違う時間に遣ったらなーと心底思った。人には向いてる向いてないある。

 

なんだかんだでチェルニーの100番未達で終わったみたい。覚えてない。興味ない。

 

ちなみに8歳下の妹も同じような感じで辞めたらしい。兄妹だ。