人生はなかなかうまく行かない。 習い事について(ECC)
人生はなかなかうまく行かない。 習い事について(剣道)
10歳位
小学校三年生時の土曜日夕方、自分は近くの中学校にいた。
隣に住んでいる2つ上のいとこが既に剣道をやっていて、自分もやる機運が親戚の中で高まっていた。
その剣友会は当時月、木は別の小学校にて、土曜日夕方に近くの中学校(後に火曜日も。その後火曜、金曜は別の小学校にて)でやっていた。
最高は週5でやっていた。
特に剣道やりたいとか思ってなかったが他のいとこもやっているので、習いに行った。
土曜日のテレビはとても面白く、見たかったけどやることになったから仕方ない。
数ヶ月、防具は付けず私服で素振り、踏み込みなど一連の基本を教わり、面を被って練習することに。
面も被ることになり、自動的に20時45分まで練習することになった。
午前中は小学校の授業。お昼を食べて、ゆっくりして、17時30分くらいになったら緊張と不安でトイレに行っていた。
18時くらい(もっと早かったか)に中学校に行き、体育館の床の雑巾がけ、終わったら素振りと相手を回しながら面、小手、銅の練習。黙想。
19時くらいにそこから面を付けて掛かり稽古。
19時半ちょい休憩。
20時前くらいにずっと試合形式の本気のマッチアップを行う。
20時45分くらいに終了。後片付け。終わり。
なかなかのタフなスケジュールだ。
これがずっと続く。
12歳くらい
ピアノ、剣道、ECC(10歳から)という反曲にあるものを両方やっていて、疲れていた。
月一最後で誰が強いか決める(年齢の近いグループ内で)胴取というのがあった。
それを取ったら、基本週5通う。それが出来なかったら、怒られ、勝者の認定でもある銅を返上しなければならなかった。
そして、黙想するのも仕切る。(仕切り役を決めたようなものだ)
今考えるとかなりおかしい。
13歳
中学の部活は迷うこと無く剣道を選んだ。
強くなりたいとかはなく、剣友会の先輩もいるし入りやすかったからだ。
中学は週2か3くらいで練習があった。
終わって一旦帰り、剣友会も行くことが多々あった。
その時は既に剣道を習うような若者は少なく。フェードアウトしていった。
そして、私も覚えてないが部活の引退とともにフェードアウトしていった。気がする。
親が何とか適当に行ったのだろう。
いつを区切りに辞めたか覚えていない。
最近見つけた剣道初段の認定書と賞状は額に飾られ、今は日焼けすらしている。
いったい習い事とはなんだろうか?と思った。
人生はなかなかうまく行かない。 習い事について(ピアノ)
幼稚園児だった私は、特に自我も無く、フラフラ遊べそうな所と人にくっついて遊んでいたように思う。自分で仕切った記憶は無い。そして、扁桃腺が腫れてよく、幼稚園を休んだ。
喉の痛みと、そこからくる38℃以上の熱。悪寒。行事関係なく風邪を引くので周りの人をよく困惑させていた。その幼稚園は家のフェンスを堺に真裏にあった。今もリニューアルして現存する。
7歳くらい
水泳と同様、ピアノの習い事を始めさせられ、先生の生活する空間兼、マンションの一部屋を教室にして週一回で月5000円でやっていた。そして、自分にだけ毎回お菓子をくれた。そこそこいいお菓子。
お菓子目当てに通うこととなる。
自我が無いまま、なんだかんだで自分がピアノやります。と言ったので(思ってない)お菓子目当てとそのピアノレッスンが終わったら急いで、スイミングスクールに行かなければならなかった。
スイミングスクールに更衣室があり、ロッカーは小さい。
水泳前に行ったピアノの楽譜は必ず濡れていた。
荷物を無理やり押し込んで着替え、女のコーチを見つけることに全力を尽くし瞬間の安堵を得ようとしていた。
10歳くらい
小学校5年くらいに運動会の練習中にボキッ、ミシッと右親指が鳴った。
飛び跳ねる程痛かった。練習中なので体育着のままジタバタ走り回っていた。
そうでもしないと痛みを受け止められない。保健の先生に言ったらしばらくして母親がきた。母親と近くの外科に行き、レントゲン。
3箇所くらいヒビ入っていた。折れたほうが治りは早いらしい。実際3ヶ月くらいずっと包帯を巻き、左手てご飯を食べていた。期間限定左利きを身に着けた。
そして、これでしばらくピアノに行かなくて良いのだ。と思ったらニヤっとした。母親が引いていた。
やれと言われたからやるでお馴染みの自分はこういった気持ちのまま小学校が終わろうとしていた。
13歳位
中学生になってもピアノは続いていた。その3年くらい前にやっと自分家にピアノがやってきた。それまでは隣の従兄弟の家に電子ピアノがあったので、そこを30分ぐらい借りて練習させてもらっていた。しかし、バイエルを卒業するくらいには電子ピアノではあまりうまくならないことも痛感していたし、そもそもあまり好きではない。いや、音符を読めるのは素晴らしいじゃないか!月謝が月5000→中学生6000にアップしたとて音符読めるから良いじゃんは投資しすぎてはないかい?と言ってしまうほどだ。
中学から部活も入り、地元の剣道の会(剣友会)にも入っていたので練習する暇は見つけないと無かった。そして自分から練習するつもりは一切なかった。つまらなかった。
やると言った以上は中途半端に止められない契約を親と交わしてしまっていたからだ。
ピアノの先生の家で注意されたことを、翌週のピアノの先生が、先週より上達して無いと怒られたりしていた。そしてその繰り返し。お菓子も以前と変わらず貰っていた。
14,5歳くらい
ピアノの教室で同じクラスの友達は中学受験という理由で既にピアノからフェードアウトしていった。男は1人になっていた。
そして、そんなストレスを先生も抱えていた矢先、ピアノの発表会に出る出ないで揉めた。出なさい!出ません。出なさい!出ません。というやり取りが行われ、出ないことを勝ち取った。この時に先生も諦めたみたいだ。
既に練習する習慣も消え、週一ピアノのレッスンも前の週と同じことを繰り返すだけで酷い時は下手になってるくらいだった。
程なくして、親からピアノ辞めたよ。と言われた。なんか先生から親にやる気が見られないとのことだったらしい。いやもっとあるだろう!大人だ!
とても開放された良い気持ちになった。そして、この時間を違う時間に遣ったらなーと心底思った。人には向いてる向いてないある。
なんだかんだでチェルニーの100番未達で終わったみたい。覚えてない。興味ない。
ちなみに8歳下の妹も同じような感じで辞めたらしい。兄妹だ。
人生はなかなかうまく行かない。 習い事について(水泳)
5歳
裏の私立幼稚園に年中から入る。当時は年中からが普通だったようだ。
そして、幼稚園の友達(withママさん)と一緒にスイミングスクールへ通う。
うまく泳げないと女の先生(今考えるとバイト)に甘え、優しく教えてもらう。
男の先生(今考えるとバイト)が非常に怖く、常に女の先生がどこにいるか自然と目で追ってしまう。
海パン一丁のガキが変なクロールで、自分のに向かってくるのは怖かったのではないかと今にして思う。
当時は母が送り迎えしていたので、推定中は上から見ていた。
時々、怠けてんじゃねーよ!とゲンコツとビンタwith指ぬきを付けた攻撃はものすごく痛い。
6歳
2年ほどで、船堀駅のスイミングスクール(兼ジム)に行き、そこで習うことに。
三半規管が弱い私は、バスの中でゲロゲロ吐いたが、小1の時には、バタフライまで泳げるようになった。
そこでもバイト先生の薫陶を受け、育成コースへ小学校3年時に行った。
育成コースは、おそらく社員の先生から電話で説得され、バタフライまで覚えたのでもう良いやと思いながら、断ることも出来ず育成コースへ行くことになった。弱った。
育成コースは、レベルが全然違っていた。正直ビックリした。日曜に朝練もあった。
スピードは一番遅く、日曜日の朝練も会ったが、気が乗らないので、行かなかった。
その分、他の選手との差も広がり、辛いな〜と思った。
スイミングスクール対抗の試合にもでたが、全て負けた。
その後、先生にどこが悪かったのかと言われ、全部と良い、そのまま帰った。
それからなんとなく全てが嫌になり、親に辞める手続きをしてもらった。(もう、無理と言った気がする)
一通り泳げるようになったし、元々先生がいなかったら辞めるつもりだった。
小学校では、かなり早いほうだと思っていたが、既に上には上がいるということに気づいている自分ではとっくに冷めていた。
なんとなく幼稚園〜小学校4年生まで、約6年通っていた。
今の所、泳げる以外に何も得したことはおきなかった。
人生はなかなかうまく行かない。 めまい〜不眠〜うつ病にかかった病気思い出し(成人になって)
2002年か2003年
20歳くらいの時に朝10時位に大学へ向かって歩いていたら、急に歩けないくらいのめまい、ぐるぐる回る(自分が回っているか周りが回っているかわからない)、車酔いみたいな吐き気、しばらくして収まったが歩いていても浮遊感やら急にフラッとしたりして不安定。常に上を向くのが辛い。
近所の耳鼻科に行き、検査(ゴーグルのようなものをつけて寝て体制を変えて目の動きを見る、目をつぶって両腕を地面と平行するくらいに挙げ、20回位足踏みして足の位置のズレを見る。顔にセンサーのようなものを付けて円の布の中に入り布が周り、それを眼でだけで追うのを何回か繰り替えす)のを行う。
検査結果は先生が眼球が回っていたり、震えていたりしている。神経が細やかなのね。と言われた。(病名は言われてないのでわからない)
以後、1日2回か3回メリスロン、メチコバール、コントール(最終的にデパス)を処方されるそれ以降、主に薬のみもらっていた。たまに検査を行うが同じ。
ふと急にめまいがしたり、上を向くのが辛い。
その時から全体的に体調が悪いなと常に感じている。
2004年レセコン販売会社に就職
常に仕事が忙しく、また2005年から6年にかけて葛西から三鷹に異動になり調子も悪くなっていたので、別の耳鼻科に行き、同じ薬をもらう。
また、念のため三鷹の杏林大学病院へ行きCTスキャン、検査(ゴーグルのようなものをつけて寝て体制を変えて目の動きを見る、目をつぶって両腕を地面と平行するくらいあげて20回位更新して足の位置のズレを見る、顔にセンサーのようなものを付けて円の布の中に入り布が周り、それを眼でだけで追うのを何回か繰り替えす、耳に水を入れて目の動きを見る)を行うもCTスキャン、結果は問題なし。
あえて言うなら起立性調節障害と言われ、スタスタと医師は出ていった。
門前薬局も捌くようなテキパキでちょっと傷つく。
三鷹の耳鼻科にて検査結果を言い同じ薬を処方される。
以後、同じ薬を飲んでいた。
2007年退職し、特定派遣型SEとして転職。
それまでと同じ薬を飲み続けている。
2013年
7月に風邪を引いて、扁桃腺が腫れ、腫れが引かなくなる。
以後11月まで、耳鼻科に通いながら。
その後、11月末に扁桃摘出術。
全身麻酔。その前に、安っぽいユーロビートのコンピレーションのような音楽がなっていたので、絶対に良くなろうと思ってた矢先、麻酔がガツンと来てZzz…
気がついたら終わっていた。終わらされていた。
右側が状況酷く、結構中まで膿が溜まっていたようだ。なので苦戦したようだ。
どおりで常時、口が開かないわけだ!
先生(女医)から右が酷くてね~とチャラチャラ言っていたのだが、あんな音楽で手術成功してるんだから信頼できる先生だろうと思った。いや、思うことにした。
10日で退院。喉には絆創膏が貼れないので、かなり辛かった。
ちなみに耳鼻咽喉科専門病院だったので、入院患者は鼻、喉、耳のアクシデントで来ている。入院中6人部屋はいびきのオーケストラみたい(みんな低音のガーガー、ボーボー、グーグー)でほとんど寝れなかった。
入院患者がくつろぐ部屋にやたらコンビニで買った黄昏流星群を見て、みんなそうなんだなと思った。
2014年 高円寺に引越し
あまり、薬を飲まなくても辛くなくなり、症状が出てきそうな時に飲んでいた。高円寺の耳鼻科にて同じ薬をもらっていた。(薬を持っているだけで気持ちが違う)
2015年
朝起きて起き上がろうとしたら、周りがぐるぐる周り、車酔いみたいな吐き気。
耳鼻科へ行き、良性頭囲性めまい症と判断される
ストレスなどにより耳石に神経が触れてそういう症状がおきるそう。現在もたまにおきる。
2016年
1月くらい
寝ても1時間おきくらいに起きてしまい、過敏性腸症候群にもなる。
過敏性腸症候群は恐ろしい。色々なことがおきてしまった。
今までのこともあり心療内科に行き、経緯を説明し薬を処方される。
8月くらい
結婚するが仕事が多忙なり、ストレスなのか酷く体調が悪くなる。
・今まで興味があったことが興味なくなる
・眠れなくなる。そのまま仕事に行くこともあった
・10キロほど痩せる
・マルチタスクができなくなる。
・一つつまずくと頭が混乱する。(仕事でそれを繰り返し悪循環)
・普段話している言葉が出なくなる。
・仕事以外の環境でも何を話しているのか解らくなり支離滅裂みたくなる(とある友人談)
・過敏性腸症候群がひどくなる。痔にもなる。
11月くらい
身体の危険を感じ、自社と相談の上、診断書をもらい現場の退場と休職を申し出る。
取引先との間で、診断書もらったくらいじゃ、、、と四谷のあぶさん(店員にビートたけしの『その男、凶暴につき』のあの刑事が!でお馴染み)にて、取引先の関西弁オッサンと話する。
なんやかんやで不安神経症じゃない!と囲っているテーブルにビールの水滴が落ち、濡れるくらいの一連の当たり前のような言葉で言われるも気持ちは既にとりあえず休ませてくれと。身体が拒否しているんだってと。
なんとかごまかしながら2016年12月いっぱいを大きく離されて2017年1月半ばまで仕事を行い、休職する。こんなことは今まで無かった。新展開だ!
2ヶ月間の休職予定だったが、新しい現場とのスケジュールが合わず5月半ばまで休職する。3月位から人と話すリハビリも兼ねて転職活動を行い、内定をもらった5月半ばに新しい会社へ転職する。(現職)
2017年10月離婚
だんだん体調が良くなって来た感じがあったが、離婚(離婚までのプロセス)をきっかけに当初の症状まではいかないまでも如実に体調が悪くなる。
上記の症状プラス、不眠がひどくなる。安定剤も朝昼晩寝る前飲む。
会社へ報告し、離婚をきっかけに急に体調が悪くなったと説明した。
2017年11月実家へ帰る(いわゆる下野だ)
不眠症は続き、薬を飲んでも眠れないことが多々ある。
薬を調節しながら心療内科へ通っていた。
昼前くらいから仕事中に寝てしまうというか落ちてしまう症状が顕著になる。
夜に冴えてしまい、寝れない。
寝ようとするという感覚がわからない。
2018年5月くらいから、昼前から落ちてしまうことは減っていっている。0ではない。
今でも薬が無いと眠くならない。眠いが寝れないことも多々ある。
6/3(日)~6/4(月)に渡り全く眠れなくなる。
現在の仕事(現場)は定時に帰れるため、残業のストレスは無い。ただ、スキルが全く活用出来ないので、ちょっとした恐怖を感じる。
あくまでも仕事のよくあるストレス的なものはある。
6/9(土) 新しい診療内科へ
上記の経緯をしたため、通っていた心療内科から紹介状を書いてもらい、地元で検索した評判が良さそうな心療内科へ行く。
そこは、中2の時に通っていた個別担当塾(この塾に行って成績がかなりアップした)と同じマンションでビックリ。以前青ローソンだった所は整骨院に変わっており、塾も無くなっていた。ヨガスクールに変わっていた。
塾に通っていた時期から25年も経っていたのだから当たり前だけど、端々の朽ちている要素があり、疲れているマンションだなと思った。
新心療内科の先生はとても柔らかい感じで接してくれる。勝手に書いて持参した自分の状況2000字くらいと紹介状を渡した。
どんな説明を受けたか忘れたが、タモリのボキャブラ天国のような相関図パネルの図を書いてくれて説明を受けた。
自律神経失調症という事自体は、実態が無いそうだ。というか世界での定義がまだされてないそうだ。(瞬時に、要するにそれって薬会社が自分の薬を提案できるような隙間を開けているのでは(陰謀論)?と思った)
例えば風邪という病名は無い。咳をすると、結核かもしれないし、肺癌かもしれない。咳だけでは病名がつけ辛いように、自律神経失調症もストレス過多かもしれないし、ホルモンバランスが崩れたとか、あるので、とりあえずの風邪のような総称で自律神経失調症と読んでるらしい。(もう、自分でもよく分からない)
出ている症状から病名をつけるとしたら?との問に、先生は、うつ病という判断だった。自分でもそうかな。と思った。
治療に際し、私に今後、任せてもらえませんか?というお言葉をもらったので、お願いします。と言った。(この確認になんの意味があるのだろうか?と思った)
なかなかの種類が処方された。財布の中身がギリだった。こんな種類出るので、そこの心療内科は自分でもお金払っているんだなと思った。信頼できる。
とりあえず、薬を飲めば効いている感じするので、来月まで、飲もうと思う。